ほなみ赤鶏のふるさと

ほなみ赤鶏のふるさと

生産者の声

 

 

 

養鶏家は、明日も元気で鶏に暮らしてもらうために
日々「おもてなしする」しかないのです

昭和23年、福岡県嘉穂郡穂波村椋本で養鶏を始め今年75年を迎えています。
当時は白色レグホンの種鶏から種卵を採り、孵化させて育雛し、育った成鶏から卵を採って販売する一貫養鶏でした。
成鶏の管理も毎日卵を確実に産んでいるかのチェックし、産卵率の低下した親鳥からさばいて肉用として頼まれた分だけを販売するという、忙しいけれど充実した養鶏を行っていました。
34年前(1989年)ハンガリー原産卵肉兼用種テトラSLとの出会いから、種鶏場と孵化場は委託しましたが、昔ながらの光と風の入る木造鶏舎で雛から大切に育成し、親鳥としてお役目を全うしながら最後は必要な分だけを肉用として出荷する形は昔と変わりなく行っています。この、毎日毎日の鶏と向き合う習慣は、ニワトリが主役で、この『おとりさま』方のご機嫌を損なうことなく、毎日快適に過ごしていただくようお世話させていただき、そのご褒美として卵を頂戴している。この繰り返しに変わりはありません。 そして、『美味しい卵は産んではいるけど、脂ものって大きく成長したし、いつまでもここにいるわけにもいかないわ~そろそろ卵を産む役目を終わりにして美味しく料理して食べてね~』と、言ってくれてる(?)時期にその命を感謝していただいているのが『ほなみ赤鶏』なのです。 

日本バボルナ 大村道子

 

 

 

 

にわとりはひとつも無駄のでない、まるごと利用できる優秀な家禽です

75年間、変わることがないこの『おとり様』の『召使い』を祖父母の代から一日も欠かさず尽くしてきました。 一羽の『おとり様』から卵、鶏肉を頂戴し、排せつ物である鶏糞までも私たちは頂き、発酵完熟させて畑に返し、その恩恵として果樹や野菜を実らせ、最後に私たちの食卓に帰ってくるこの連鎖! この連鎖を断ち切ることなく、75年、私たちはこの穂波の地で皆様に支えられ生きてきました。 ニワトリという優秀な家禽をいつ頃から人は飼い始めたのでしょうか? あるときはニワトリを『走る野菜』と呼んだといいます。 人が消化することが出来ない虫や草の種や野菜くずを食べ、卵を産み、肉となる。落とした糞は植物を育てる。こんな素晴らしい動物がありましょうか? 祖母がいつも言っていたことがあります。 『病気の人があれば鶏をさばいて、丸ごと鍋でよ~く煮て、すべて食べつくしたころには全快している』 これは今でいう『薬膳』でしょう。 また、卵黄を集め、鍋で炒めて炒めて真っ黒になるまで炒めて、最後に残ったさらさらの脂(卵黄油)は塗ればやけどやあかぎれ、舐めれば心臓や脳の血管のつまりをとったり、美肌効果があったりと家伝薬として珍重されています。 時代がどんなに変わっても『おとり様』の恩恵は、人と切っては切れない関係であり、今日もこれからも変わることは無いと確信しています。

日本バボルナ 大村道子

 

 

 

 

ページ上部へ